E:文化・自然
昭和の初めころの中島は135軒ほどの店舗があった。店の種類が豊富で、店の数は現在より格段に多かった。駅前近くに、タクシー、料理屋や旅館などがあった。当時は、村の人たちの目を引くように、紅白の服を着て自転車に乗って1日1回村中を宣伝して回ったようである。1931(昭和6)年には中島新町に「睦劇場」が、1948(昭和23)年には上町に「マルス劇場」が作られた。1945(昭和20)年代には中島新町に「中島銭湯」ができ、当時は内風呂が少なかったこともあり、繁盛していた。
「睦劇場」という娯楽場は,芝居を上演していた。この娯楽場の名付け親は早川龍介ということである。杉浦製糸所の女工さんや地元の人たちなど700人を収容できる大きな劇場であったようである。杉浦製糸所の景気がよい時代で、女工さん、地元の人たちはもちろん西尾や幸田からも芝居を見に来ていたようである。1943(昭和18)年「睦劇場」の跡継ぎが兵隊に召集されたため劇場は解体され、平坂に移された。杉浦製糸所の南の乾燥場を改装してできた「マルス劇場」は、初めの頃は芝居が中心であったが、後に映画館となり、1960(昭和35)年頃テレビの普及などの影響で閉館となった。「睦劇場」のすぐ近くにはパチンコ屋もあったようである。
御田扇祭り(山方手永2015)の写真をどうぞ!(近藤さん提供)